2020年にグループホーム「キノッピの家KARIYA」を開設してから、4年で16棟のグループホームを立ち上げた。
代表・紀(きの)とともに事業拡大を支えたのが、事業推進部の柳澤と、主任の堀でした。
今回は3名でこれまでを振り返りながら、当社の魅力や「らしさ」について語り合います。
地域の声に応え続けて。手探りのスタートから急成長を遂げた4年間
まずは自己紹介として、入社の経緯から教えてください。
紀: 代表の紀真美(きのなおみ)です。グループホーム1号棟が開所した当時、私はまだ会社員でした。介護施設でケアマネージャーをしていたのですが、「介護の仕事はやり切った」と感じていた頃でもあって。
そんなときに、夫であり現会長から「障害のある方の住まいと、朝夕の食事を提供する仕事があるんだけどどうかな?」と持ちかけられまして。「牛久市に良い物件があるから」と一緒に見に行ったのが、現「キノッピの家 KARIYA」です。
その後は夫とともに、会社勤めをしながら準備や営業を進めました。仕事の休憩中のトイレで問い合わせの電話を取る、なんてこともありましたね。障がい者福祉の知識や制度に関することもイチから調べて、部屋をリフォームして、スタッフの面接も進めて。
なんとか「KARIYA」をオープンしたものの、すぐにコロナ禍に突入してしまって、利用者さんを集めたくても、営業活動もままならない状況に。市役所で情報を集めながら厳しい状況を乗り越えて、2021年には2号棟、3号棟をオープンできました。
お二人はその頃に加わってくれたんですよね。
柳澤: 私は2021年2月に加わりました。ちょうど3号棟がオープンする頃ですね。当時は都内で働いていて、知人だった会長から「障がい者グループホームをやることになった」と聞いたのがきっかけでした。不動産の勉強をしていたので、運営に興味が湧いて。「週末だけなら」と週1のアルバイトからスタートしました。
コロナ禍で外出の機会が減っていたので、東京から刈谷まで小旅行気分で通ってました。
その後、堀さんが加わったんですよね?
堀: 私が入ったのは2021年夏ですね。前職では高齢者の訪問介護をしていたのですが、障害のある方のサポートに興味があり、タイミングよく見かけたのが「キノッピの家」の求人でした。
紀社長に面接してもらったのですが、びっくりするほどスムーズに採用されて、すぐに3号棟の準備を任せてもらいました。社長の器の大きさに支えられて、すごく楽しく準備を進めたのを覚えています。
紀:「ざっくり」だったよね(苦笑)
堀:社長の「任せてくれる感」が私に合っていたんです。
3号棟の立ち上げ後には柳澤さんからレクチャーを受けて、世話人としての仕事を始めました。
今では「キノッピの家」は16拠点まで増えました。ここ数年の拡大をどのように感じていますか?
紀:当初はこんなに拡大するなんて想像していませんでした。「キノッピさん、こういうホームはないの?」「ここにこんなホームが欲しいんだけど」という地域の声に応えているうちに、自然と増えていったんですよね。
「キノッピの家を任せたい」と思えるスタッフにも恵まれて。ここまで一気に、駆け足で進んできました。
柳澤:私も「求められている」と感じています。
福祉の仕事も障害のある方との関わりも初めてでしたが、「今まで知らなかっただけで、困っている人ってこんなにいるんだ」と知るきっかけになりました。利用者さんの困りごとが解消されるのはもちろん、ご家族の負担が軽減される様子も見えるので、日々障がい者グループホームの必要性を実感しています。
その人の「奥」までみる視点をもつ
地域の方をスタッフとして採用している「キノッピの家」では、障害のある方との関わりが初めての方も多いと思います。利用者さんの生活をサポートするにあたって、現場ではどんな工夫や声かけをされてますか?
堀:スタッフとはどんな声かけが良いか、一緒に考えながら支援をしています。
私からいつも伝えているのは「その人のもう少し“奥“までみてほしい」ということ。
行動には必ず理由があります。例えば周囲が困ってしまう行動は「困らせている」のではなく、その人自身が「困っている」のです。だから「やめて」と否定的な声掛けではなく、「大丈夫?」と声をかけてほしい、と伝えています。
中には言語コミュニケーションが難しい利用者さんもいるのですが、こちらの思いや意図を「感じ取る」能力は持っていると思います。一方的に「言っていることが分からないだろう」と決めつけた態度や声かけはしないよう、私自身も気をつけています。
調子が悪いときの行動もさまざまで、失敗の繰り返し。一人ひとり、みんな違うんですよね。
柳澤:本当にそうですね。
紀:83人いたら83通りですよね。
日常的に起こる想定外の出来事に、常に平常心で対応しているスタッフは素晴らしいと思います。
私はどちらかといえば感情的なタイプで、恥ずかしながら利用者さんと衝突してしまったことも。「相手の立場になっていなかった」と反省しました。
普段からその方を知ろうとしなければ、相手の立場や気持ちになることはできないですよね。現場スタッフが持っている知見はとても深いと思います。
想定外を笑いあえるのがキノッピ
お話を聞いていて「キノッピの家」で働く人たちには、どんなときでも前を向こうとする「明るさ」があるように感じました。
柳澤:たしかに、みんな楽しんでいる感じがありますよね。想定外の出来事が起こっても、「こんなことがあったんだよ」と笑いながら話せる雰囲気がすごくあります。「あれ大変だったよね」っていう感じで。
堀:そうですね。
紀:たとえ予期せぬことが起きても「いつものこと」として、みんなでうまく対処していますよね。
柳澤:笑ったあとは「じゃあどうしようか」と、次の手を考える姿勢が自然と身についていると思います。
大変な出来事が起こっても、最初に笑えるかどうかって大きな分岐点ですよね。
紀:そうですね。地域の方々に謝るような出来事もたくさんあったんですよ。
でも、障害のある方と地域で共に生きるのは「当たり前」だと私は思っています。ただし、私たちにも失敗はありますから、その点については謝らなければなりませんし、同じ失敗を繰り返さないための努力はこれからも続けたいと思っています。
偏見や差別のない「やさしい街」を目指して
最後に、これからの夢や展望をお聞かせください。
紀:当社のビジョンである「やさしい街」、さらには「やさしい社会」を目指して、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。また、働く私たち自身が思いやりを持って仕事ができるよう、引き続き人材育成にも力を入れたいですね。
時間はかかりますが、いつか実現したいのは「障がい者」と「健常者」の区別がない世の中です。もちろん、実現には多くの困難がありますが、めげずに進んでいこうと思っています。
柳澤:キノッピの軸は「働く側も利用する側もみんながハッピーになれる場所」。事業の形はさまざまですが、軸を持ち「やさしい街」の実現に向けて進んでいくことは変わらないと思います。
これまでの4年間で「キノッピは歩みを止めない」とわかったので(笑)次はどんなことが起こるのか、楽しみですね。
堀:障害のある方への偏見がなくなり、最終的には「障がい者」という言葉自体がなくなったらいいなと思っています。
そのためには、まずスタッフが「障害のある人は“特別“な存在ではなく、私たちと同じ人間だよね」と気づくこと。さらに、利用者さんをどんどん外に出して、地域の人たちと触れ合う機会を作りたいと思っています。
キノッピには、同じ志を持ち、思いを共有できるスタッフがいます。この仲間となら「やさしい街」が実現できると信じています。